2011/03/21

1988の奇跡

地震・津波で被害に遭われた方々にお見舞いもうしあげます。

北海道が好きな方、どうぞ非難してこちらに来て下さい。札幌は被害もなく、平穏な日々が過ごせますよ、ミルクもありますから。

バンドの人が、募金箱を作ってミルクとB-グルカフェに置きました。何かしないと落ち着かないようです。

暗くてよく見えないかもしれませんが、ミルクの店内写真の右上、RCサクセションの「カバーズ」のポスターがはってあります。1988年今から23年前のアルバム。このアルバムに入っている「サマータイムブルース」の歌詞が、反原発ソングです。これで東芝から発売されなかったのです。東芝は原発を作っている会社だから。(日本ではあと日立も作っています。)

*これからの文章「1988の奇跡」は

北海道いい旅研究室11号・舘浦あざらし責任編集(2009年発売号)に載せた、前田のエッセイです。

1988年の春だったと思う。僕が経営する喫茶ミルクに突然軽いノリの男が現れた。

当時、併設するバンド練習スタジオを利用していた「カイエ」という大谷高校のバンドを取材したいとのことだった。「リブレ」というレジャー雑誌でギャルバンドの特集をやると言う。

「カイエ」は人気のカワイイ女の子バンドだったので、この取材の目的は明らかだと思った。

そんな何やらあやしい雲ゆきの中で、あざらし君は登場した。

1人でカメラを持って、ますますあやしい男はテキパキと取材をし、写真を撮って「リブレ」を数冊、「これ、よければ読んで下さい」と置いていった。

もう二度と会うことはないはずの出会いだった。

雑誌は数日そのまま、ミルクのテーブルで、のざらし(シャレではある)にされていたが、あまりヒマなので不用意に開いてしまったら、その雑誌の中に、北電の泊原発に明確に反対しているあざらし(以下君なし)がいた。読んでびっくり、あのチャライあざらしが(これは偏見です)ガチガチハードなレポートをレジャー雑誌で(これも偏見です)書いていたのだ。いやこれはもう戦っていた、一人で。

ぼくはちょっと見直した。

チャライと言えば、その頃もう1人あてはまるヤツがいた。

音楽的に、すごくいいものを持っているのに、ケバい化粧と衣装で人気をとっていたRCサクセションの清志郎である。

デビューの頃から期待していたけど、社会的なものを見ているのがわかるのに(ぼくは社会を見据えた歌が好きです)いつもラブソングにしてしまう姿勢に潔さを感じえなかった。「見えたら歌えよ!」と思っていた。

当時釣り友だちだったRCサクセションの関係者から「このアルバムは発売されないので、皆で聞い下さい」と清志郎から預かってきたと手渡された一本のカセットテープ。「カバーズ」と書いてあった。このテープはまさに衝撃的だった。

1曲目の「明日なき世界」から11曲目の「イマジン」まで、一切手抜きなし。目をそらさない容赦ない清志郎とRCサクセション。日本で初めての本物のロックがそこにあった。

この大切なテープをミルクに託してくれたことはひとつの信頼なのかなと感じた。

あざらしと清志郎。この2人は一九八八年に出会った骨のある人物として今も認めている。

ただし、清志郎とは一度も会ったことはないし、今思い出したが、あざらしに「カバーズ」のテープをあげたかどうかは思い出せない(何てことだ)・

「カバーズ」はその後、何度か状況が変転して、違うレコード会社から発売された。近年また再発売されている。本当にいいものはいつもこうだ。

*2009年5月清志郎は、喉頭癌で亡くなりました。今、清志郎が心配したとうり、福島原発が危ないです。